それまでの伊東は「体を目いっぱい使おう」という意識から、腕の振りも大きくなっていた。本格的な技術指導を受けた経験がなかった伊東は、興味本位でショートアーム式の投球フォームを試してみた。すると、コントロールがよくなる実感があった。
「そこからですね。春になって、バッターの反応が明らかに違うんです。空振りやファウルを取れるようになって、カウントが整えられるようになりました」
球速は最終的に最速142キロまで向上する。正村監督といえば、2018年に「金農旋風」を巻き起こした金足農(秋田)の吉田輝星(現・オリックス)を指導し、進化に寄与している。伊東もまた名伯楽の指導を受け、急成長を遂げていたのだ。
春の宮城大会では、東北学院は3位に進出。準々決勝で前年秋にサヨナラ負けした古川学園と再戦し、3対0と完封勝利を収める。伊東は「古川学園にリベンジすることだけを考えていたので、うれしかったです」と振り返る。
準決勝の相手は絶対王者の仙台育英。東北学院は伊東が先発を回避するなか、仙台育英に食らいつく。最終的に4対5で敗れたものの、善戦した。
それでも、伊東のなかで仙台育英への対抗心が湧くことはなかった。
「正直言って、勝てないなと思いました。リードしていても、最後はリリーフした自分が打たれて負けて。『やっぱりこうなるよな』という思いはありました」
「大夢」という壮大な名前とは裏腹に、甲子園など夢のまた夢。そんな伊東に、狂騒の夏が待っていた。